President Message
約150年の歴史の さらにその先へ 飽くなき挑戦はこれからも続く
- 代表取締役
- 稲付 嘉明 inatsuki yoshiaki
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いきなり飛び込んだ
異業種の業界、
そして新事業の開拓
まずは稲付社長ご自身のこれまでの経歴についてお伺いしたいと思います。
私がカワソ―テクセルに入社したのは36歳の時だったのですが、それまでは電気業界や製造業とは全然違う医薬品の分野で働いていました。
大学を出て最初に就職したのは主に抗がん剤を販売する製薬会社で、その後も医薬品の市場調査会社や販売促進を支援する会社などに約13年間勤めました。
実は私の結婚相手がこの会社の経営者の次女だったので、全く知らない業界へ入った経緯があり、知識もない、経験もない、何もない状態でこの世界に足を踏み入れた感じでした。
そういった経緯があったのですね。
入社する前にこの業界に対して持っていたイメージと、実際に入社した後ではギャップがありましたか?
それまでの仕事ではものづくりをやっている現場に入り込む機会もなかったので、「製造業」と聞くと町工場のような場所でコツコツとものを作っているような、そんな漠然としたイメージを持っていました。
実際に当社の工場に行ってみると、雰囲気もやっていることも私が抱いていたイメージとはかなり違ったのですが、これまで殆ど縁のなかった世界だったので一層場違いなところに来たな、とは思いましたね。
入社した最初の1年間は当時3ヶ所あった工場に通って、もの作りの現場とはどんな場所なのだろうかと色々な物に触れて学んでいきました。
いきなり異業種の会社に入って、以後も様々な問題に対処されて来たと思いますが、これまでで一番大変だったことは何でしょうか。
私が入社した頃の主力事業は電力関連資材の製造だったのですが、ちょうどその頃、電力業界では料金の自由化が始まったんですね。電力会社さんとしては、コスト削減のために私どものような会社から買っている資材の価格を抑えていったり、交換の頻度を見直していこうという感じで、調達価格全体が下がっていく傾向にありました。
さらに当時の営業責任者の人が65歳をむかえ、退職する時期でしたので、「本当に自分が引き継げるのだろうか?」という感じで、最初はものすごく不安だったのを覚えています。
業界全体がそんな右肩下がりの状況に置かれていましたので、会社として、この体制をどうやって立て直すのかが一番大変でした。
電力業界についての話をちょっとしますと、配電資材はパイが決まっていて、お客様が予算を絞ってしまえば売上は確実に下がっていきます。電力会社への依存を少しでも減らして別の事業にも力を入れていかなければ、この先売上全体を維持する、もしくは伸ばしていくことはできない状況でした。
たまたまそういう中にあって、当社では1980年代から独自のセラミックと金属の接合技術を確立していました。
カワソ―テクセルのセラミックス接合技術は独自性が高く、難易度も非常に高いものであることは自分たちも分かっている。なので、これからはこのセラミックス接合技術に力を入れてはどうかと考えたのです。
しかしその頃はまだ、自分たちの方から積極的に新しい客先へ新しいものを販売しに行くという感覚があまりない状態だったんですね。加えてどんな会社がどんな分野でこの技術を必要としているのかが自分たちにもわからなかった。
なので、この技術が必要とされる場所を探すことにとても苦労したんですね。
その時に助けられたのが、人との出会いや繋がりだったんです。
当時、セラミックと金属の接合商品を扱う販売会社さんがいらっしゃって、当社にアプローチを頂いたんです。
その会社さんは販売ルートはあるけれど自社で製品は作れない、そこで「こういうものを作ってくれないか」みたいな依頼を受けたり、「こういう業界でこんな製品が必要とされている」といった情報を教えてもらったりしたんです。
まだインターネットも黎明期の時代でしたが、当社でもホームページを作ってセラミックス接合商品のラインナップを掲載したりもしました。
そうこうしているうちにセラミックス接合製品がどんな業界で使われているのかがだんだん分かってきました。それが真空業界だったんですね。ならば日本真空工業会に所属しよう、とか、日本真空工業会のやっている展示会に出展してみよう、という感じで徐々に市場を開拓していきました。
セラミックと金属の接合技術がどういったところで必要とされているかも分かってきて、次は様々な接合製品を展開していく段階に入りました。展開した製品の一つに電流導入端子というものがあるのですが、これは半導体の製造装置で真空容器の中に電源を引き込む際に使うものです。これがきっかけで半導体の製造会社さんとのお取引が始まったんです。
様々な試行錯誤を繰り返しながら、セラミックと金属の接合品の市場を伸ばしていく過程が一番苦労した思い出があります。
電力系以外の分野で新しい仕事をどう作っていくか、というのが私にとって一番大きな課題だったということですね。